お知らせ

2024・2月15日

冬季休業に入ってから暇を見つけてコーヒー味のバウムクーヘンの
試作を何回か繰り返し、油分や粉の比率などの配合を色々変え、
どうにか納得のいくバウムクーヘンができました。

ラベルもこんな感じ。 ずっと以前にコーヒー味は販売したことがあるんですが
甘さをより控えてコーヒー味も濃くなりました。
食感も良くなっていると思います。
春の5月の販売日からお店に並べる予定です。
皆さま、大人のバウムクーヘン、いかがですか?

2024・1月23日

寒さが一番低くなる厳寒期になり、
ここ中富良野も先日最低気温が-26℃を下回りました。
4月いっぱい冬季休業中なので、試作用の小さいオーブンで
新しい味のバウムクーヘンを試作しました。

香り高い甘さ控えめのコーヒーバウムクーヘンは大人向け。
焼く温度を変えてみたり生地作りを工夫したり配合も変えてみました。
まだ納得するまで試作を何回か重ね、春の新商品になるよう頑張ります。

2024・1月2日

今年もこだわりの、美味しいバウムクーヘンを焼くことを誓います。

2023・12月・14日

時間がたつのは本当に早いもので師走も半分が過ぎてしまいます。
今年の販売も23日(金)・24日(土)・25日(日)で終了になります。
ただし、発送や予約、ふるさと納税返礼品は受け付けておりますので
お気軽にご連絡下さい。

<こだわり>

中富良野の小さな本格手焼きバウムクーヘン専門店です。
一層一層生地をおたまで手がけする事にこだわって丁寧に焼いた手作りバウムクーヘンです。
乳化剤や液体ショートニングを使わずに焼いていますので、市販されている自動の機械で焼いた、ふんわりやわらかいバウムクーヘンとは違い、しっかりとした食感に焼き上がっています。
生地には、小麦粉・乳製品の他に道産米を含む飼料を食べて育ったニワトリのこだわり卵や、砂糖も甜菜(てんさい)糖を使うなど、できるだけ北海道産の物を使用し美味しさを追求しました。
オレンジ・紅茶・ラム酒の香り・シナモン・メープルの5種類の味の詰め合わせです。
美味しいこだわりのバームクーヘンを是非一度ご賞味ください。

<歴史>

バウムクーヘンの始まり
日本のバウムクーヘンのルーツは、中国の青島に居たドイツ兵の中にいた人たちによって伝えられました。当時青島はドイツの租借地で街の並みは中国離れしていたようです。
第一世界大戦では日本は連合国側で、英国と共にドイツと戦争になりました。この戦闘ではドイツ人4700人が捕虜になりその後日本に移送されました。
1918年(大正7年)第一世界大戦が終了しましたが、そのうち170人程が日本に残留することを希望したそうです。そのなかにパン・菓子・ソーセージなどの職人がいて、後に神戸でユーハイムの基礎を作ったカールユーハイム、ジャーマンベーカリーを創業したウイルヘルムミュラー、ソーセージなどの食肉加工をしていたローマイヤーなど、他にもヨーロッパの酪農の技術やいろいろなものがそこから広がっていきました。
銀座の明治屋ではカールユーハイムがカフェヨーロッパの責任者をしていました。彼の作るバウムクーヘン(現在のバウムクーヘンとはちがい窯の上火を使い薄い生地を何層も繰り返し層を重ねて焼く、ピラミッドケーキとも言う)は高価にもかかわらず、とても評判が良かったようです。
大正12年関東大震災が発生します、震災後カールユーハイムは神戸に移り住み後にユーハイムを創業します。ユーハイムが去ったあとカフェヨーロッパをウイルヘルムミュラーが引き継ぎましたが契約終了後、明治屋から店を買い取りウイルヘルムミュラーはジャーマンベーカリーを創業します。
ジャーマンベーカリーは美味しいコーヒーと他にないミートパイやピラミッドケーキで繁盛店となり規模を広げていきます。銀座店 麹町工場店 横浜弁天通り店の3店になったそうです。
その後時代は第2次世界大戦へとすすみます、彼らドイツ人は日独伊3国同盟の関係で、国内では今までと変わらない生活を続けていました。食糧事情が厳しくなりやがて戦火で東京 横浜の店も焼け一時山中湖の別荘に戦火を逃れ疎開をしたそうです。
戦争終了後GHQによりドイツ人は戦犯として財産の接収の処分がありました。昭和24年(1949年)処分がとかれました。その後ジャーマンベーカリーの店舗は銀座 有楽町 田園調布 横浜元町と発展していきました。
昭和30年頃私が小学校5年生位のとき、父に人を介してジャーマンベーカリーの社長ウイルヘルムミュラー氏からバウムクーヘンオーブンを作って欲しいと依頼がありました。そのころ父は新宿 市ヶ谷でパンを焼く食パン型やクッキー焼く天板など製菓製パン器具制作業を営んでいました。
初期のバウムクーヘンオーブンは窯の中に耐火煉瓦を積み、他の所で松の木を燃やし煙が出なく炭のようになった炭片を耐火煉瓦の上に並べ、その上で木の芯棒に生地を付け回転しながらやいていました。芯棒を回すのに職人さん一人、生地を付ける職人さん一人の二人で一本のバウムクーヘンを焼いていました。このオーブンが東京での丸い形のバウムクーヘンの始まりです。
その頃からジャーマンさんからの提案や父の改良工夫により、人が手で回転させていたものをモーターに、松の炭からガスの燃焼変に代わっていきました。時々父がジャーマンさんの工場に行くと、お土産にバウムクーヘンの端っこの切り落としを頂いてきました。思い出すとそれまで食べたことのない比べるものもない本当に高級なお菓子でした。今でもそれを超える味に出会ったことがないような気がします。思い出の中の印象は特別に昇華されるものかもしれませんが。
私がジャーマンさんの麻布工場に仕事で伺うようになった頃は、父の作ったバウムクーヘンオーブンが2台納入されていて、鈴木さんと山崎さんが何時も忙しく焼いていました。最盛期のジャーマンさんには400人位の従業員さんがいたそうです。
やがて時代は進みバウムクーヘンオーブンにも生産性を求められる時代がおとずれます。手で生地を掛ける1・2本焼きから、自動で生地が付いていく4・6・12本焼きオーブンと生産性の良いバウムクーヘンオーブンが誕生しました。当初父の会社の他に自動のバウムクーヘンオーブンを製造する会社がほとんどなく不二家・山崎パン・ロイヤルホスト・などの日本の洋菓子の先駆者さん達も父の作ったバウムクーヘンオーブン使用していました。
父の会社で営業や納品 試運転で北は紋別 名寄から南は鹿児島 宮崎まで45年間バウムクーヘンに関係する仕事をさせていただきました。その間も自分でもバウムクーヘンを焼いてみたいという夢を持っていました。
そして東北の大震災がきました。いろいろ人生について考えることがあり、これからの人生を北海道中富良野で畑仕事とバウムクーヘン造り、基本配合はジャーマンベーカリーさんに教えて頂いた卵を別立ての配合、1本焼き手掛け。私が最初に食べたジャーマンベーカリーさんの味に、恥ずかしくない味をめざして私もバウムクーヘンを焼いていきます。
長谷川 明男

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